神社歴史pts

鐵神社の創建から令和元年までの歴史についてご案内いたします。 鐵神社は
鉄神社とも書きますが、本殿の扁額には鐵神社と書かれています。 場所は
横浜市青葉区鉄町1553で、桐蔭学園バスターミナルのところに鳥居があり、そこから
階段を上ったところに本殿があります。

鉄神社内に祀られれている神

瘡守稲荷
(かさもりいなり)鉄神社の境内の片隅に瘡守稲荷がある。 **瘡守稲荷(かさもりいなり)の由来** 古来より瘡守稲荷神社は皮膚病の神様で 明治38年鉄町の臼井太郎吉の5女ワカ 3才の折、耳を病む我が子を愛しんで稲荷 に祈願すると、その願いが忽ち叶い子供の 病が快癒したのでここに瘡守稲荷を請来して 塔を建立した者なり。と瘡守稲荷の立て札に 記されている。昔はお医者さんもいないし 病院もあるわけはないし、神を信じ神に頼った のです。 瘡守稲荷
天満宮
(てんまんぐう)1843年(天保14年12月)上鉄氏子中にて天満宮を再建。鐵神社境内より東方へ100m程離れた森の中に 南西に向いた1平方メートルのところに社があり、その中に天満宮と刻印された石塔が置かれていた。その社の前方約 1m幅の石段が十数段積まれていた。1963年(昭和38年11月8日)桐蔭学園造成工事開始に伴い鐵神社境内に 移転し、石塔は1973年(昭和48年)鐵神社本殿に合祀 されました1981年(昭和56年)天満宮跡地前に故 坂田愛治さん寄贈による筆塚が建立されています。天満宮、天満神社を祀る「天神祭」は各地で昔から盛大に行われていました 現在、鉄の天神祭は毎年1月25日の前の日曜日〜月曜日に琴平神社の宮司をお招きして式典を行うとともに鉄町住民 とその関係者、及び鉄小学校生徒たちの作品を鉄文化会館のホールに2日間にわたり展示し、境内の梅の木の枝には 俳句愛好会の作品が取り付けられ、早咲きの梅が花を添えています。
山倉山大六天王尊
(やまくらさんだいろくてんのうそん)祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)疫病除及び山の守護神
明治24年辛豊12月陽12日初卯日 
鉄の近郊の有志により講を作り、下総の国 山倉山観福寺より大六天王尊を勧請奉幣し鉄北方の山林児松下2388 番地の高台の僅かな平地に約1m平方の社に石の角塔を祀り鎮座し、奉り幡一対を奉納。また明治32年7月講社中 世話人11人を刻銘した。て手水鉢を奉納し、地域の安泰と発展を祈念し、崇敬の基をを築いた。昭和46年5月起工 嶮山地区住宅造成に伴い東京急行電鉄株式会社のご尽力により鐵神社境内地に移転し、現在地に奉祀されました。
昭和62年10月吉日